アマダの井一義人さんたちに指示された人たちによる自宅アパート近辺への嫌がらせ。

私は、アマダグループのアマダメトレックスやその後移籍させられたアムテックに在籍中は、神奈川県座間市内のアパートに住んでいました。

アマダのソフト工房7階のPCLプロジェクトを外れて後は、南館の生産管理グループに一時席を置いてもらい、その後ソフト工房10階のアムテック本体に戻ったのですが、元アマダのC&Cの井一義人さんや旧アムテックのCADの石井さんたちがアムテック内に流布した悪い噂により、オフィス内で働けなくなり、自宅アパートでの在宅勤務となりました。

ところが、精神的に疲労困憊していたこともあり、在宅勤務も落ち着かない状態でした。

そんな中で、私の自宅アパート周辺に夜間に多分、井一義人さんたちに指示された人たちが来て、携帯電話で井一さんや石井さんと連絡を取り合い、嫌がらせの話「変なものを作るんじゃあない!」とか「線割付もできないくせに!」とか「板金プロダクトモデルは要らない」などなど声による脅かしが続きました。

そして、この嫌がらせで、夜間も眠れなくなり、ひどい不眠症になり、鬱病を患うようになりました。

そして、あまりに酷いので、当時は自家用車を所有していたので、自宅に戻るのさえ嫌になり、自動車を走らせて、神奈川県から遠く離れた場所を泊まり歩くようになりました。

そして、最終的には、アムテックを退職することになりました。

AP100は井一義人さんや石井さんたちの利権だったわけで、それを私が犯してしまったのが原因でした!

 

そして、この嫌がらせと似た嫌がらせは、アムテックを退社後、実家の広島県備後地方に戻ったのち、派遣労働されたリョービのプリプレス課の人たちに真似されました。リョービのプリプレスの人たちは、アマダグループの井一さんたちと連絡を取り合っていたようで、いかに私をパワハラすれば良いかを井一さんたちから知らされていたわけです。

 

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まだ、アムテックに在籍して、在宅勤務をしていた頃、井一義人さんや石井さんたちによる自宅周辺への嫌がらせを避けるために、何度も自家用車で旅に出た。

その旅先の一つが、今年2024年正月に起こった地震の発生地域の能登半島だった。その当時は地震の多発地域だとは知らなかったが、輪島市七尾市にも行ったし、兼六園にも行った。

当時は精神的に疲弊していたが、今となっては懐かしい思い出である。

今回の地震で被害に遭われた人たちが一刻も良い日常を取り戻すように願っております。