【複製】旧アムテック迫屋さんの言葉「アイツら、仕様書を書かない!」 <その2>

私がアマダのソフト工房10階でAP200CAD開発とNewAP構想に関わっていた時に、旧アムテック迫屋さんがNewAP構想の時に、井一義人さんたちのことを言った一言が、「アイツら、仕様書を書かない!」でした。そして、「すぐいなくなる」とも。

 

井一義人さんは、システム全体を規定する要求仕様書(設計図)を書かなかったし、田辺和生さんは、パンチングでの金型割付の要求仕様書や自動加工の仕様書も書かなかった。DUOの青木保社長のところに入り浸って、思い入れのある学習機能付きの自動加工の仕様を考えていたそうですが、実態がなかった。

 

迫屋さんがNewAP構想の時にIOTAモデルの超プロトアプリのために書いたコマンドラインのコードはAP100(PLSモデル)のオペレーションの一部として組み込まれました。とても役にたった筈です。

 

NewAP構想の前のAP200CADの機能の一部としてパラメトリック機能(D-CUBED)をポーティングしてもらいましたが、その時目標を達したのにボーナスの評価が悪かったと嘆いていましたが、その査定をしてのは私ではなくて、坂口聡さんか住田徳蔵さんです。なぜだか、私には査定評価表さえ渡されませんでした。所期の目標を達成したのに評価が悪いと嘆いていましたね!

【複製】アマダのソフト開発者たちの言葉「変なものを作るんじゃあねえ!」

私がアマダのソフト工房7階のPCLプロジェクトや南館のアムテックの生産管理部隊にいた時に、アムテックを中心とするアマダグループ内のソフト開発者からパワハラを受けた時に言われた言葉です。「変なものを作るんじゃあねえ!」と。

因みにその変なものをアマダは20年以上売って大儲けしています。

元々は、井一義人さん・小木曽さん・田辺和生さん・青木保さんのAP100(IOTAモデル)が正統とされていたのですが、上手くいかずに変なものであるAP100(PLSモデル)に書き換えたのが良くなかったようです。

正統なAP100(IOTAモデル)によるVPSS 3i,4i(IOTAモデル)が未だに発売はおろか発表もされてません。

 

ということはAP100(PLSモデル)に対する嫌がらせ、私に対する嫌がらせのパワハラだったわけですね!

おかげで、うつ病になり、それが転じて、統合失調症になりました。アマダグループを退職してからも、何度も、自殺を試みようとしましたが、その度ごとに決して悪いことをしたのではないと思い直し、思い留まりました。

 

この「変なものを作るんじゃあねえ!」という合言葉は、アマダグループを辞めてのち、実家のあった備後地方の広島県府中市のリョービという一部上場会社に派遣労働で派遣された時にも、同じパワハラを受けました。リョービのプリプレス設計課の人たちはアマダの井一義人さんたちと通じていたようで、如何にパワハラをして奴隷労働をさせるかを心得ていた訳です。

【複製】前川覚さんの言葉「ええんや、お金をつこうたかて、何も命を取られるわけではない」

私がアマダのソフト工房10階のアムテック本体にいて、AP200開発と後のAP100の前身となるNewAP構想に携わっていた時に、当時アムテックの常務取締役で元アマダの販売の伝説の営業マン前川覚さんに、私が「また新しい自動プロを開発するとなるとかなりお金が掛かりますよ」と言ったら、前川さんが「ええんや、お金をつこうたかて、何も命を取られるわけではないんや」と仰っていました。

 

当時はAP60を販売し始めたばかりでドタバタが続いていたわけですが、私は何でまたAP60に続けてNewAPなどを持ち出す必要があるのかと不思議でした。というのは、私はAP60の出来が悪いことも、どれだけ時間をお金をかけたかも知らなかったからです。もし当時、事情を知っていたら関わらなかったと今では思います。

まさかAP60の販売までに、AP40Ver.4(C言語バージョン)以降失敗に失敗を重ねて、失敗の総額が外注費だけで200億円以上になっているなんて!そして、AP60がボロボロの仕上がりだったなんて!

そして、AP60については、ORIGAMIデバッグプロジェクト時にアマダメトレクスの高橋裕取締役から、「AP60はAP40+BBSだ」と伺っていたんで、売れたAP40に全く売れなかったBBS(Basic Bending Software)を無理やり抱き合わせてのいわゆる、抱き合わせ商品として販売をする荒技をして、BBSが売れました的なお役所仕事を元アマダのC&C事業部長だった丹羽嘉男さんたちがしているのだと想像していました。

 

私は、AP100(PLSモデル)の設計開発に関わり、アマダグループのソフト開発者たちから「変なものを作るな!」とか「ORIGAMIみたいなものが売れるわけない」などと罵られて、鬱病になり、アムテックに在籍中も退職後も売れずに200億円の損失を出したらどうしようと何度も自殺を図る寸前まで行きました。まさに、命を取られそうでしたが、前川さんは平気の平左だったようです!

アマダの田辺和生さんの言葉「自動加工しかないAP30はあまり売れなかった」

私が、アマダのソフト工房10階で、NewAP構想の板金プロダクトモデル(IOTAモデル)のディスプレイリストの開発に取り組もうとしていた時に、旧アマダのC&C事業部の田辺和生さんが言った言葉が「自動加工しかないAP30はあまり売れなかった」ということです。

元々、NewAP構想では自動加工を全面に打ち出して、それに関連する割付テンプレート機能や割付辞書機能というのを実現する構想にあったのですが、AP60はAP30の後発として開発されたシステムで、その中に自動加工機能が含まれていました。

田辺さんが言うには、AP40のカストマイズバージョンとして、パンチング加工の自動加工しかないAP30を開発したそうですが、販売が思わしくなくて、結局数百台しか売れなかったということでした。原因は、田辺さんが言うには、販売側が推奨してくれなかったからだそうです。

しかし、私はそうは感じ取っていませんでした。もし自動加工でお客様が望む加工が毎度実現できているのなら、顧客をもっと惹きつけて、たくさん売れた筈です。なのに、そうならなかったのは、自動加工機能が顧客の望む加工を実現できないからだと思っていました。パンチングの発数を最小にして、いくつもある選択肢を一つにしか絞り込めない残念な機能にしか過ぎない。そのくらいなら、手動で個々に割り付けた方がはるかに便利。

後に、ソフト工房7階のPCLプロジェクトから外れて、AP200CADの開発に戻った時に、AP200CADを展示会に出品することになり、その時に顧客に接して、言われた言葉が「AP200CADにはCAMはないのか」、「AP60の自動加工は取り敢えず割り付けておいて、後で手動で修正するやつね」ということを少なからず伺いました。

井一義人さんにしろ、田辺和生さんにしろ、AP30やAP60の何に問題があり、どう対処していくかを考えて、自動加工を全面に押し出す方針を取ったのか、大いに疑問です。

PCLプロジェクトから外れて、小島健太郎さんから聞いた話では、「CADMACは自動加工を掘り下げて実現せず、深入りしていない」でした。

【複製】井一義人さんの言葉「自分たちでやるんだ!」

井一義人さんは、NewAP構想が始まり、井一さん(I)・小木曽さん(O)・田辺さん(T)が要求したモデルをDUO青木保さん(A)が提示(後のAP100(IOTAモデル))して、それを元に超プロトアプリを作るんだという段になり、井一義人さんが言った言葉が「自分たちでやるんだ!」でした。つまり、アムテックの人員でやるんだということです。

でも、井一さんたちは「俺たちゃ、米国の間(はざま)さんと交渉してくる。超プロトをやっておけ!」と命令を下すだけで、ご自分では何もやらずに、米国へのだらしない出張と称する海外観光に行かれました。

日本に残された実務担当者たちは、空っぽのAP100(IOTAモデル)やオブジェクト指向に四苦八苦して苦しんでいたのですが!

 

そして米国への観光旅行の末に、AmPunch for winをメインCAMに据えて、AP100(IOTAモデル)は自動加工のみという仕様で、両者をGコードベースの加工プログラムでSDD(Sheetmetal Digital on Demand)が繋ぐ仕様にするように、米国の間(はざま)さんと決めてきたというんです。

でも、このAmPunch for winは、後に米国の間(はざま)さんがベンドモデルを持ち出してからは、米国での開発は中止されるという始末で、井一義人さんたちは一体何を交渉してきたのか全く不明で、観光旅行以外のなにものでもなかったわけです。

 

因みに、NewAP構想に取り組むきっかけとなったのが、AP60の完成度の問題でした。つまり、AP60が製品としてあまりに酷かったので、それに代わる新しいAPを確立しなければならなかった訳です。

そして、AP60の欠陥の主たる要因はデーターベースがあまりに不安定で、これがためにシステムがよくクラッシュするのでした。この問題を解消すべく始めたのがNewAP構想だった筈が、そのデータベースは主にDUOの青木さんと旧姓北村さんに任せられており、井一さんは「藤村さんが担当するのは怖いです」と言っていました。そして、出来上がったのがIOTAモデルだった訳です。

そして、井一さんたちが米国から帰国して、IOTAモデルで超プロトアプリが上手く機能しないことを聞くと、井一さんはTIS熊谷さんにグラフィックのみでのCADCAM協調設計連携デモアプリを作るように要請し、井一さんはSDD(Sheetmetal Digital on Demand)の開発を担当されることを宣言し、私たちに井一さんは「オブジェクト指向できません。C++分かりません。CAMできません」と言い残して、SDD側と自動プロの統括責任者になった訳です。

【複製】アマダのPCL2プロジェクト(IOTAモデルの復活)の発足 <加筆4>

アマダグループ内でAP100(PLSモデル)を生み出したPCLプロジェクトにあやかって

本来に立ち返り、30年前に提起されたIOTAモデルで板金CADCAMシステムを成立させるために、

アマダグループ内に有志を集結させて、開発会社を設立し、PCL2プロジェクト(IOTAモデルの復活)を発足するように調整してはいかがか!

 

プロジェクトリーダー:井一義人さん(CEO)      出資額:2500万円(退職金を原資)

技術リーダー(CAM担当):田辺和生さん(CTO)     出資額:2500万円(退職金を原資)

技術リーダー(CAD担当):旧アムテックの石井さん(CTO) 出資額:2500万円(退職金を原資)

技術リーダー(SDD担当):小木曽さん(CTO)      出資額:2500万円(退職金を原資)

技術アドバイザー:DUO青木保社長          出資額:1億円

投資家(1):アムテック社長平田さん         出資額:2億円

投資家(2):アムテック常務前川覚さん        出資額:5000万円

投資家(3):アムテック取締役住田徳蔵さん      出資額:5000万円

投資家(4):アムテック取締役丹羽嘉夫さん      出資額:1億円

投資家(5):アムテック越智次長(元C&C事業部)    出資額:3000万円(退職金を原資)

投資家(6):アムテック近藤課長(元C&C事業部)    出資額:3000万円(退職金を原資)

 

従業員:東京大学理科系出身者20名

 

趣旨:IOTAモデルに基づいて、板金市場向けにアマダグループの加工機用のCADCAMシステムの開発を行い、販売をアマダグループに委託する。基本的な仕様は、30年前に井一義人さん・小木曽さん・田辺和生さんによって指示され、青木保さんによって提示されたIOTAモデルを元に、CADCAM協調設計、自動加工割付テンプレート機能の実現、割付の学習機能を実現し、AP100(PLSモデル)を遥かに凌駕する機能のシステムを実現する。

開発期間:発足から3年間とし、その販売益からのロイヤリティでプロジェクトの収支を採る。

プロジェクトのビジョン:「まだないモノをアマダとつくる」です。

副題:海の東大のCEOと東大卒のシナジー

そして、「CADMACを脅かしてやること」を使命とします!

「ORIGAMIみたいなものが売れる訳がない」「AP60は失敗作だ」を副題とします!

【複製】アマダの近藤課長の言葉「アマダはそれでいいんだ!」

アマダがAP60を出荷してもう既に30年以上が経とうとしていますが、元アマダのC&C事業部の近藤さんは、AP60が出荷されると同時にアマダグループのアムテックでその功績が認められて課長に就任された方です。

量販できたAP40から、失敗を何度も経て、ボロボロになりながら出荷に漕ぎ着けたAP60までにかかった外注費が200億円を下らないと私が知った時の違和感と驚きは今でも忘れることができません。

それだけ、お金をかけたのだから、さも素晴らしい出来なのかと思いきや、反応は遅いし、よくシステムがクラッシュする情けない出来のシステムがAP60でした。でも、お役所のアマダでは近藤さんは課長になれたんです。

近藤さんは、AP60が出荷されてボロボロに批判され、バグ対策を協力会社に委ねて、自らは愛妻弁当をもぐもぐと食べ、メテオーラの課長とよもやま話を毎日するのが日課でした。

 

その近藤さんの言葉に、「アマダはそれでいいんだ!」というのがあります。この意味は、「アマダは商品を企画して、協力会社にぶん投げて、その内容は協力会社任せにして、自らは手配師に徹すればいい」という風に受け取るのが適切に思えました。その結果が、ボロボロにできたAP60だったわけで、結局典型的なお役所仕事で、顧客のことも、会社のことも考えず、ただ座って管理すればいいという放任ぶりだったわけです。

結果から言えば、そんないい加減な体質だったから、売れた商品AP40の後に続くシリーズもののつもりが、売れた商品の中身が分からず、盲目的にうわべだけの真似事をしているから、200億円以上の失敗をして、その上砂上の楼閣としてできた商品AP60がボロボロだったわけです。

 

因みに、座って残業代まで稼いでいた倉澤睦由さんは、以前はこの近藤さんの部下だったように聞いています。