井一義人さんの言葉「自分たちでやるんだ!」

井一義人さんは、NewAP構想が始まり、井一さん(I)・小木曽さん(O)・田辺さん(T)が要求したモデルをDUO青木保さん(A)が提示(後のAP100(IOTAモデル))して、それを元に超プロトアプリを作るんだという段になり、井一義人さんが言った言葉が「自分たちでやるんだ!」でした。つまり、アムテックの人員でやるんだということです。

でも、井一さんたちは「俺たちゃ、米国の間(はざま)さんと交渉してくる。超プロトをやっておけ!」と命令を下すだけで、ご自分では何もやらずに、米国へのだらしない出張と称する海外観光に行かれました。

日本に残された実務担当者たちは、空っぽのAP100(IOTAモデル)やオブジェクト指向に四苦八苦して苦しんでいたのですが!

 

そして米国への観光旅行の末に、AmPunch for winをメインCAMに据えて、AP100(IOTAモデル)は自動加工のみという仕様で、両者をGコードベースの加工プログラムでSDD(Sheetmetal Digital on Demand)が繋ぐ仕様にするように、米国の間(はざま)さんと決めてきたというんです。

でも、このAmPunch for winは、後に米国の間(はざま)さんがベンドモデルを持ち出してからは、米国での開発は中止されるという始末で、井一義人さんたちは一体何を交渉してきたのか全く不明で、観光旅行以外のなにものでもなかったわけです。

 

因みに、NewAP構想に取り組むきっかけとなったのが、AP60の完成度の問題でした。つまり、AP60が製品としてあまりに酷かったので、それに代わる新しいAPを確立しなければならなかった訳です。

そして、AP60の欠陥の主たる要因はデーターベースがあまりに不安定で、これがためにシステムがよくクラッシュするのでした。この問題を解消すべく始めたのがNewAP構想だった筈が、そのデータベースは主にDUOの青木さんと旧姓北村さんに任せられており、井一さんは「藤村さんが担当するのは怖いです」と言っていました。そして、出来上がったのがIOTAモデルだった訳です。

そして、井一さんたちが米国から帰国して、IOTAモデルで超プロトアプリが上手く機能しないことを聞くと、井一さんはTIS熊谷さんにグラフィックのみでのCADCAM協調設計連携デモアプリを作るように要請し、井一さんはSDD(Sheetmetal Digital on Demand)の開発を担当されることを宣言し、私たちに井一さんは「オブジェクト指向できません。C++分かりません。CAMできません」と言い残して、SDD側と自動プロの統括責任者になった訳です。