田辺和生さんの言葉「俺たちゃ、CAMの開発をやっているんだ!プログラム開発じゃあない」

アマダのPCLプロジェクトが始まる1年以上前、私が、アマダのソフト工房10階のアムテック本体でNewAP構想から転じた後のAP100(IOTAモデル)の超プロトアプリのディスプレイリストの設計に取り掛かろうとした時に、分担させられえたWindowsのグラフィックスに取り掛かることもあり、秋葉原に行き、MFC(Microsoft Fundation Class Library)の解説書を自腹で買ってきて、読んで勉強を始めたら、旧アマダのC&C事業部のCAMの専門家(?)の田辺和生さんが私を批判して、「俺たちゃ、CAMの開発をやっているんだ!プログラム開発じゃあない!」と憤ってきました。田辺さんは、私がディスプレイリストの要求仕様書さえ書いてくれればいいのだと思っていたらしいし、彼自身がWindowsやグラフィックスについて全く見識がなかったからだとは思いますが!

でも、この時期に、私がWindowsMFCについて勉強したことは、後のAP100(PLSモデル)やその基本グラフィックスやその下地となる幾何クラスや位相クラスの設計に活かせたし、3ヶ月ぐらいの勉強で、IOTAモデルがいかに実現が難しそうかも掴めて、結果的にAP100(PLSモデル)の成功をもたらしたことは事実です。

 

結局、メテオーラの染谷さんが言っていたように、「俺たちゃ、機械と加工のことだけ知っていればいいんだ」という風潮が旧アマダのC&C事業部やアムテックにはあり、これが原因でAP60が湯水の如く開発費を使い「お金を掛ければ掛けるほど、ボロボロに出来上がった」大きな原因の一つだと今から考えれば推定できます。上流設計なんだと言ってましたが?

売れたシステムのAP40は、アマダグループ内にまだ売れる自動プロのシステムが無くて、且つ小島健太郎さんのように「目を瞑っても、設計できる」人がいたから、東芝情報システムと協力して出来上がったのだと思います。NewAP構想の時やIOTAモデルのような現実離れした仕様などはAP40には無かった。

 

当時は、田辺さんは、私に「分かったか!俺たちゃあ、CAMを担当しているんだ」と罵ったけど、田辺さんの思い入れのあるAP100(IOTAモデル)は25年以上経っても、発表も、ましてや販売もされていないとことを振り返ると、「俺はアマダの秘密を知っているんだ。だから、いくらお金を使っても首にならない」と高尚なことを言っていた田辺さんの実態がよく分かります!

伝説の営業マンのアムテック常務の前川覚さんも、「お金をいくら使こうたかて、命まで取られることはない」と言ってましたが、お金を使った開発で売れるシステムができたらの話でしょう!