2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧
私が、アマダのソフト工房10階のアムテック本体で、NewAP構想の末に提起されたIOTAモデル(Inoich-Ogiso-Tanabe-Aokiモデル)で、超プロトアプリを実装するように命令を受けて、ディスプレイリストについて検討していた時に、元アマダのC&C事業部のCAMの専門家…
私が、アマダメトレックスに入社して、入社後すぐにP&Pの手伝いをした後に、UNIX版自動プロのORIGAMI開発に携わるようになったのだが、そのORIGAMI開発では、山本課長のもとに赤井主任がおり、そしてCADが野中尚さんの担当、CAMが柳下幸夫さんの担当となっ…
私が、アマダのソフト工房10階でAP200開発やNewAP構想(後のAP100)に携わっていた頃、UNIX版のAP200CADの開発リーダーだった旧アムテックの坂口聡さんがしきりに合言葉のように言っていたのが、「新しいものを作るんだ!いいものを作るんだ!」でした。 でも、…
私が、アマダのソフト工房10階のアムテックの本体で、NewAP構想のIOTAモデルの超プロトアプリに取り組んでいた時に、元アマダのC&C事業部のCAMの専門家?の田辺和生さんが言った言葉が、「俺はアマダの秘密を知っているから、いくらお金を使っても、クビには…
井一義人さんは、NewAP構想が始まり、井一さん・小木曽さん・田辺さんが要求したモデルをDUO青木保さんが提示(後のAP100(IOTAモデル))して、それを元に超プロトアプリを作るんだという段になり、井一義人さんが言った言葉が「自分たちでやるんだ!」でした。…
私がまだアマダのソフト工房7階で、AP100のグラフィックやモデルを設計実装していた時に、 倉澤睦由さんがおっしゃったうかつな言葉が「ヤベッえ、(見つかった)」でした。 倉澤さんは自動加工を担当していたのですが、パンチングの加工の知識や経験がなくて…
アマダが量販できたAP40(Fortran版)の後継機として開発したAP40Ver.4(C言語版)が大失敗に終わり、当時アマダのC&Cの事業部長だった丹羽嘉男さんがこの失敗の開発費用を量販版AP40(Fortran版)の開発費用に紛れ込ますという誤魔化しをして以降、失敗が相次ぎ、…