田辺和生さんの言葉「今さら、(IOTAモデルに)変えられるか!」

私が、アマダのソフト工房7階のPCLプロジェクトにいてAP100(PLSモデル)の設計に関わっていた時に、私が「辞めます。PLSモデルからIOTAモデルに戻してを設計し直して下さい!」と言い出したら、元アマダのC&C事業部のCAMの専門家の田辺和生さんが「今さら、(IOTAモデルに)変えられるか!」と言ってAP100(PLSモデル)を押し進めるしかないと言っていました。

その後、私がアマダグループを去って数年後の田辺さんの年賀状に「AP100(PLSモデル)はたくさん売れたんだ!(藤村は)戻ってくるな!」と書いて、私が復帰することを拒んだだけでなく、田辺さんが設計して思い入れのあるAP100(IOTAモデル)をその後も開発することさえせずに、不思議なことにAP100(PLSモデル)に留めてしまいました。

PCLプロジェクト当時は、田辺さんの弟子の橋谷圭介さんが「CAMが設計開発できる!」と喜んでいたのに、田辺さんはご自分が設計して思い入れのあるAP100(IOTAモデル)の設計を橋谷さんと詳細に設計することなく、裏切ってしまった訳です。

結局、AP100(PLSモデル)が販売に乗って、客先に届けられて以降、そのまま何も変えずに、機種対応するのみに終始しただけに過ぎないのではありませんか?

もう既に、AP100(PLSモデル)がリリースされて販売に載ってから、25年近く経ちますが、今でも田辺さんが「今さら、(IOTAモデルに)変えられるか!」と言っていると思うと、全く開発能力のないCAMの専門家だったと騙された思いがします。