2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

アマダ常務でアムテック社長だった平田社長の言葉「開発は面白い。でも突っ込み過ぎるな!」

私が、アマダソフト工房10階でNewAP構想(後のAP100)での超プロトアプリ開発に取り組んでいた時、アムテック社内での平田社長への進捗状況の説明会があった時、CAMの開発リーダーだった元アマダのC&C事業部のCAMの専門家?の田辺和生さんが取り敢えず当面…

旧アムテック迫屋さんの言葉「アイツら、仕様書を書かない!」

私がアマダのソフト工房10階でAP200CAD開発とNewAP構想に関わっていた時に、旧アムテック迫屋さんがNewAP構想の時に、井一義人さんたちのことを言った一言が、「アイツら、仕様書を書かない!」でした。そして、「すぐいなくなる」とも。 迫屋さんがNewAP構…

旧姓北村瑞穂さんの言葉「井一さんが要求仕様を書かなかったの!」

アマダのソフト工房でAP100のIOTAモデルからPLSモデルに入れ替えをしている時に、何でこんなにシステムが不明瞭なのと旧姓北村瑞穂さんに尋ねたら、「井一義人さんが要求仕様署を書かなかったからなの」と答えました。つまり、大元の要求が不明瞭な上で、シ…

AP100(PLSモデル)で苦悶したこと

IOTAモデルからPLSモデルに移行するに際して何年も苦悶したこと。 結論から言えば、要求仕様の根幹が不明なままだったことに帰します。 今はたくさん出荷されていることから少なからず実用的だったのだとホッと安心していますが! DUO青木保さんが井一義人さ…

坂口聡さんの言葉「新しいものを作るんだ!いいものを作るんだ!」

私が、アマダのソフト工房10階でAP200開発やNewAP構想(後のAP100)に携わっていた頃、UNIX版のAP200CADの開発リーダーだった旧アムテックの坂口聡さんがしきりに合言葉のように言っていたのが、「新しいものを作るんだ!いいものを作るんだ!」でした。 でも、…

井一義人さんの言葉「自分たちでやるんだ!」

井一義人さんは、NewAP構想が始まり、井一さん(I)・小木曽さん(O)・田辺さん(T)が要求したモデルをDUO青木保さん(A)が提示(後のAP100(IOTAモデル))して、それを元に超プロトアプリを作るんだという段になり、井一義人さんが言った言葉が「自分たちでやるんだ…

丹羽嘉夫さんの言葉「アマダが揺れれば揺れるほど、うちが儲かる!」

私がアマダのソフト工房10階に移動し、アムテックに移籍後、ORIGAMIデバッグプロジェクトを遂行していた時に、アムテック側のプロジェクト責任者だった元アマダのC&C事業部長の丹羽嘉夫さんが漏らした言葉が、「アマダが揺れれば揺れるほど、うち(アムテック…

小木曽さんの言葉「これからはAP40の周辺を整備して喰って行くしかない」

私が、アマダのソフト工房10階でAP200開発やNewAP構想(後のAP100)に携わっていた頃、EWS版のAP200CAMの開発が中止となり、井一義人さんと小木曽さんの担当が無くなった時に、小木曽さんが言った言葉が、「これからはAP40の周辺を整備して喰って行くしかない…

井一義人さんの言葉「AP60は本当はデータベースから作り変えたかったんですけど」

私が、アマダのソフト工房10階のアムテック本体でAP200の開発とNewAP構想(のちのAP100)に関わっていた時に、私が何でAP60が出荷されたばかりなのに、NewAP構想なんて始めないといけないのかと問いただしたら、「AP60はデータベースが悪くて、先行きがない…

井一義人さんの言葉「藤村は失敗の痛みが分かっていない!」

私がアマダのソフト工房10階のアムテックでNewAP構想から転じたAP100(IOTAモデル)の超プロトアプリでのディスプレイリスト(グラフィックス)の構想を練っていた時に、旧アマダのC&Cの井一義人さんは、「藤村は失敗の痛みが分かっていない!」とAP60までに連…

田辺和生さんの言葉「俺はAP40やAP60を知り尽くしているので、それがこびり付いて」

まだ、アマダのソフト工房10階のアムテックにいる時、すなわちPCLプロジェクトが始まる前、NewAP構想のIOTAモデルによる超プロトアプリが破綻して、現場の人間が狼狽えている時に、元アマダのC&Cの田辺和生さんが私に言った言葉が、「俺はAP40やAP60を知…

坂口聡さんの言葉「お金で開発するんだ!技術じゃあない!」

私が、PCLプロジェクトから外れて、アマダのソフト工房10階のアムテック本体に戻って、平田社長に関わってはいけないと言われたAP200CADの保守作業に着手し始めた時、AP200CADのリーダーだった坂口聡さんが言った言葉が、「アマダのソフト開発はお金をたん…

倉澤睦由さんの言葉「ヤベッえ、(見つかった)」

私がまだアマダのソフト工房7階で、AP100のグラフィックやモデルを設計実装していた時に、 倉澤睦由さんがおっしゃったうかつな言葉が「ヤベッえ、(見つかった)」でした。 倉澤さんは自動加工を担当していたのですが、パンチングの加工の知識や経験がなくて…

「AP60までの200億円を超える失敗」は行動経済学の本にも書いてあった!」

アマダが量販できたAP40(Fortran版)の後継機として開発したAP40Ver.4(C言語版)が大失敗に終わり、当時アマダのC&Cの事業部長だった丹羽嘉男さんがこの失敗の開発費用を量販版AP40(Fortran版)の開発費用に紛れ込ますという誤魔化しをして以降、失敗が相次ぎ、…